「敦」やっと観た。
中島敦の「山月記」、
国語の教科書にも載っているからみなさんご存知でしょう。
名文といいつつ、なんだかんだダメ虎。
仕事辞めてオラ詩人になる!って出てった割に開花せず、
妻子食わすために都に戻ったらかつての同僚はずっと高みにいて、
できなかった奴らにも軽くあしらわれ、
しまいにゃ発狂し虎になって命を食らう。
ふとしたときに昔の友人が通りかかり、
声をかけられ人間の自分が時折戻ってくる。
そもそも私はなんだったのか。
今の自分も、元の自分がなんだったか忘れているだけなのではないか―。
そんなダメ虎ストーリーだが、人間国宝の万作とーさんが大迫力で演じ切る。
これを作った時期は、萬斎氏が世田谷パブリックシアターで芸術監督に就任し、
現代劇との融合に挑み、狂言の野村家で現代劇に挑戦していた時期。
今はいろんな方と組んでいますが。
もうひとつの「名人伝」は、弓の名手になろうとしていろいろした挙句に
弓を使わず射るという、弓の存在すらわからなくなるほどの
すっとぼけ方面をコミカルに演じている。
何より石田幸雄氏が全部持ってっちゃってんだろこれ。
メッ!って怒ってくださいほんとに。
「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い。」
繰り返されるこの一説。
自分とは何か。人生とは何か。
アイデンティティ、自我同一性。この確立を人は一生求めていくものだろうが、
アイデンティティ、自我同一性。この確立を人は一生求めていくものだろうが、
危うくなると「何をしたいのかわからない」「満たされない」不安と
不満の割合が高くなる。ゼロになることは決してなく、そうなったらもはや
人間ではない。自我崩壊だ。
常に闇と光の中をやじろべえのように行ったり来たりする、
万物は体も心も恒常性、ホメオスタシスが存在する。
小難しいこと言わないまでも、
「私の人生これでいいのか」「私ってなんなんだろう」
そういう漠然とした誰もが思うこと、について言ってました萬斎は。
主張、じゃないんだよね。共感でもいいし、考える機会でもいいし。
そういう悩みの人もいるんだ、でもいい。
「邦楽界の若手ホープである大鼓の亀井広忠と尺八の藤原道山の
生演奏による競演も話題となった。」とどこぞに書かれていましたが、
特典映像みたいのにも入ってました。
特典映像みたいのにも入ってました。
うん、かっこいーねこういうの。