6月12日木曜日、夜勤明けからの~~上野!
博物館はしご!
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(リクエストによる西郷どーーん)
まずは東京藝大の法隆寺展!!
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音声ガイド竹下景子さん!
平日に関わらず、じじばばやツアー客、
いかにもデザイン彫刻アートや職人風の人いっぱいいいた!
明治維新のときの古いものどんどん捨ててしまおうという流れに
明治維新のときの古いものどんどん捨ててしまおうという流れに
危機感を感じた岡倉天心が、法隆寺の宝物を保存し
その技術を養うために当時のトップ職人集結!後進を育てようと発足したのが
藝大であることがよくわかりました。
そして、法隆寺というのは607年に聖徳太子が建てたもの。
その聖徳太子という存在が、政治的にも宗教的にもいかに崇拝され、
その聖徳太子という存在が、政治的にも宗教的にもいかに崇拝され、
こころの支えとなり、象徴として
世界の影響を受けた各時代の美術芸術の粋が集められ続けたか。
奉納されるのは国宝級ばかりなのでございます。
蘇我入鹿とかそんな時代ですよ。
別展示では壁画再現など、篳篥だか笙だかプアーーーーと音楽が流れながら
映像が流れながらのトランス状態にいってしまいそうな
アートというか荘厳な空気というか、圧倒される
数多の人の思いのたけを感じることができます。良い時間でした。
世界的に見ても類を見ない線一本、配置数ミリ、色づくり、
世界的に見ても類を見ない線一本、配置数ミリ、色づくり、
すべてが超越した中で、模写や復元だけでも時代の寵児が一生をかけてやる業。
芸術家たちの人生を変えるほどの求心力。
でもさ、これだけのものを、西暦1000年いかない時代の人たちは、
どこでどう身に着けたんだろうか…
それは、万遍なく最低限のレベルをこなす現代社会のシステムとは異なる、
一球入魂!彫刻家は家系ごと何代も何代も彫刻!とか、俺んとこ染色!とか、
ひたすら絵具!仏具!とか、
受け継がれるものと専門性が強くありつつ
寄り添いあう社会があったからこそなんじゃなかったのか。
文字が書けなくても色の追究!とかさ。
文字が書けなくても色の追究!とかさ。
そういう専門性をもった人たちが互いに食ったり生活に困らないように
専門職が助け合ったとか。
現代の私たちは選ぶ自由もあるし、誰しも一定の義務教育とされるような
現代の私たちは選ぶ自由もあるし、誰しも一定の義務教育とされるような
教養を身に着けるけれども、人が一生にそこに時間をかけて、
20歳過ぎてから一代限りで追究するものには限界があるのかもしれない。
そのシステムには良さもたくさんあるけれども、
職人の技術と言う点では、日本古来根強い「生まれたときから○○屋」みたいな
職人魂が何代にもわたって連綿と受け継がれて、
進化淘汰されて、ご先祖様の人生かけた答えを積み重ね、
バトンを回していったことを考えると、現代は発展という意味では
歴史スケールでいうと成長率は鈍っているのではなかろうか…と思った。
無宗教な私ですが、トランス感高揚感が存在するのはわかるし(あれは
無宗教な私ですが、トランス感高揚感が存在するのはわかるし(あれは
子供のころ高野山いったときだったか…)荘厳な空気というのは
説明のつかないものがあると思う。
歴史の中のあまたの人々の思いに触れるのは非常に心洗われる。
仏教彫刻とか現代でも選択している人は心から羨ましい。
そんな私は中学生の頃進路を考える際に藝大の「東大より難しい」入試要項見て
想像しただけで恐れおののいて逃げ出した人間ですw
憧れるわ…芸術の超エリート…
藝大の展示は22日までですが、東京国立博物館には、
正倉院宝物と双璧をなす「法隆寺宝物館」もあるのでそっちもおすすめ。
つまり、上野いきゃどこいっても魂洗われます。
博物館はしご、この後は2回目の「医は仁術」科博特別展へ。